高梁市内の城跡について所在地名、城名のカナ順で記載しています。
順次各城の詳細ページを作成予定です。
備中松山城 (尾根小屋) |
高梁市内山下 |
臥牛山(松山)の麓にある居館・屋敷跡。 通常時の政務はこちらで行われた。 現在跡地に岡山県立高梁高等学校が立つ。 臥牛山は、前山、小松山、天神山、大松山の四つの峰で構成されている。 |
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備中松山城 (前山) |
高梁市内山下 |
小松山城から南に下った前山に下太鼓櫓跡の石垣が残る。 櫓台の周辺からは多量の炭が出土しており、下太鼓櫓は焼失したことが考えられるとのこと。 |
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備中松山城 (小松山) |
高梁市内山下 |
国の重要文化財。現存十二城の中で唯一の山城で、比高では最高所に存在する。 小松山山頂部に二層二階の天守閣、二重櫓、三の平櫓土塀の一部、石垣、各櫓跡などが残る。 平成六年に五の平櫓、六の平櫓、三の平櫓土塀、本丸の各御門が木造復元された。 |
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備中松山城 (天神山・相畑城戸) |
高梁市内山下 |
小松山と大松山の間に位置する。北側に天神の丸、南側に相畑城戸。城戸跡には土塁や小松山との境となる南端部に石垣が見受けられる。この石垣は慶長期に建てられた番小屋のものの可能性がある。番小屋は昭和の初期頃まで残っていて人が住んでいたとのこと。 | |
備中松山城 (大松山) |
高梁市内山下 |
大松山の山頂部に築かれた中世城郭大松山城跡。城の水利を担った大池も残る。 三つの主要な曲輪の他、腰曲輪を有し、堀切と切岸で防御を固めている。 |
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有漢常山城 | 高梁市有漢町有漢 |
有漢常山公園に城型展望台(模擬天守)が立つ。 本来の中世城跡は背後にある。 |
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小社森城 | 高梁市川上町地頭 |
地頭の集落の南東にある丘陵上に細長い削平地と堀切が残る。 国吉城の出城。 | |
国吉城 | 高梁市川上町七地 |
連郭式山城。曲輪、土塁、切岸が残る。 城主は三村家親の弟の三村政親。三村氏の主要城郭。 「備中兵乱」の開戦直後に小早川隆景の大軍の攻撃を受けて数日で落城した。 城跡へは車で行けるが狭いため注意。 |
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小城山城 | 高梁市川上町七地 |
国吉城の出城。国吉城の北側に近接。空堀が残る。 城の周囲には非常に無礼で攻撃的なアブが守りを固めているため注意(苦笑)。 |
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野田城 | 高梁市川上町三沢 |
国吉城の出城。現況は宅地と畑、雑木林となっている低丘上。堀切と土塁が残る。 | |
寺山城 | 高梁市川面町寺山 |
城主は難波経俊。城跡は綺麗に整備されており手軽に散策可能になっている。 勿論、駐車場もある。 |
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玉の城山城 | 高梁市玉川町玉 |
標高約250mの城山山頂部に曲輪が残る。 登山道はなく、地図と赤テープを目印にして直登を試みるも途中で断念して下山した・・・。 |
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鶴首城 | 高梁市成羽町下原 |
城主は三村家親の弟の三村親成。三村氏の主要城郭。 連郭式山城跡が鶴首山山頂に残る。登山道があるが一部倒木あり。 城主の親成親子は当主元親の毛利氏への反意を通報。毛利氏は三村氏討伐を決断。 |
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山崎陣屋 | 高梁市成羽町下原 |
成羽陣屋。鶴首城下にある成羽美術館、成羽地域局、成羽小学校の周囲に石垣が残る。 | |
三村氏館 | 高梁市成羽町成羽 |
鶴首城主三村氏の城館跡。土塁の一部が残る。 | |
金子山城 | 高梁市備中町平川 |
紫城の出城。小規模だが曲輪の周囲に土塁を配する。平川氏一門の居城。 | |
紫城 | 高梁市備中町平川 |
新成羽川ダムの南、標高602mの山頂に築かれた平川氏累代の居城。土塁、堀切、虎口などが残る。 西側の宅地や農地からの比高は僅かだが、東側の崖下とは比高300m以上となる。 |
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広瀬固屋城 | 高梁市広瀬町 |
管理人:久氏
住所:晴れの国岡山
職業:会社員