天正年間の城主、筒井順斎はその名の通り、本能寺の変後に日和見を決め込んだ大和の筒井順慶の一族のようです。
天正三年の備中兵乱に際し落城しているようですので、三村方の城であったと考えられます。
車の場合は180号線を北へ登り、美袋駅手前の下倉橋を渡り寺畑の集落へ。電車の場合は美袋駅から南東方向へ進んで180号線まで出て東へ進み、下倉橋を渡ります。
目的地近隣となる寺畑にはバス停があって「キャスリング入門」にも交通手段として書かれていますが、何せ、一日一便しかありませんので、使いようがありません。
総社市内のバスはこういった実用性が全く無い路線が多いので注意です。
倉橋の集落に地元の方の手によって城跡への案内板が設置されており、ここから住宅前を横切って裏の山側へ、後は登山道をひたすら登ります。
約10分で案内板が設けられた尾根筋に出ますので、ここを右折。ここから約2〜3分で堀切に至ります。
駅から歩いてきても、ここまでで約30分です。
緩い堀切の後は、二重堀切、更に二重堀切という形で繋いで、切岸を登ると腰曲輪へ、主郭を挟んで、対面にも腰曲輪となっています。
曲輪面は良好ですが、土塁や井戸跡のようなものは見当りませんでした。
見渡せば眼下には高梁川の流れが映ります。登山道、主郭部共によく整備されているので、ありがたいことですね。
<下倉城遠景> 左側の集落の奥から登る。 |
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<登山口への案内板> 矢印に沿って、右手に折れ集落に入っていく。 突き当たりの住宅の手前にも案内板がある。 |
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<尾根の分岐点での案内板> 尾根筋を断ち切ったようになっているところにある案内板。 城跡は右手に折れて進む。 左手に折れると尾根を進み、隣の山の採石場の方面へ出る模様。 |
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<二重堀切> 二重堀切が続くが、何れの堀もかなり浅くなっている。 |
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<主郭> 木々の合間からは高梁川の流れが望める。 |
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<主郭から見た腰曲輪> おむすびのような形。 |
管理人:久氏
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職業:会社員