本文へスキップ

岡山鉄城は岡山県の鉄道と城跡を紹介するサイトです。

ぼっけぇ岡山プロジェクト

okayama.holy.jp

志良計城 しらけじょう

城の歴史

岡山県総社市宍粟の城山頂上部周辺に構築された山城です。城主の赤木氏は、元々信濃の国を本拠とした勢力でしたが、その後備中国の地頭職を賜って移住してきました。
滝谷城(高梁市)を本城として周辺地に勢力を伸ばしましたが、戦国時代には備中最大勢力である三村氏とは縁戚関係を結んで勢力下に入っています。
しかし、備中兵乱に際しては三村氏から離反して毛利氏につくことで難局を乗り切っています。
この志良計城は別名白毛城とのことで、白米伝説が語られている資料がありますが、同じ赤木氏の城で白毛ヶ城(高梁市)にも白米伝説がある為、混同されている可能性が考えられます。


城の概要

別名
白毛城
所在地
総社市宍粟
形態・構造
連郭式山城 / 標高252m(比高約210m)
遺構
曲輪、土塁、石塁、堀切、竪堀、切岸
主郭部の現況
削平地、電力設備(鉄塔)
築城者、主な城主
赤木忠興、赤木氏
主な利用年代
室町時代
指定区分
なし
近隣の城跡、寺社等
荒平山城跡、井山城

城の位置


訪城記録

以前から気になっていた山城跡(城山)でしたが、ググってみたり、岡山県遺跡地図を見てみても、この城跡に関する情報が載っていませんでした。
麓から見上げると山頂部分に高圧電線の鉄塔が立っているのが見えますので、例の如く、遺構が残っていないことが想像され、正直悩みましたが、確認してみると、一般の人も使う登山道があり、登り慣れている人で約30分とのことでしたので、この道を使って登ってみることにしました。

登山口は、岡山方面からだと県道180号線を登って、豪渓駅の手前で右折して県道57号線へ入り、川を渡る手前、バス停「薮田」の反対側です。
ここの民家横に山へと入る道があり、登っていくと、墓場を抜け、徐々に登りは急になっていきます。
麓から約35分といったところで、広い場所に出ました。その先には高い壇とその上の鉄塔が見えました。やっと着いたか。。。というか、ほっとします。
ここは、結構広い削平地となっているのですが、主郭の腰曲輪になるものだと思います。
山道に戻って南に出ると、目の前に二段の切岸を擁した主郭に到着します。
主郭の周囲に幅1.5m程の犬走りを廻らせた壇の上に、切岸を経て幅2〜3m程度の帯曲輪状のものが巡り、更に切岸を経て広い主郭に至ります。
ただ、この犬走りや帯曲輪の上には、木の枝が大量に落ちており、非常に歩きにくい状態ですので、諦めて主郭へ上がりました、ここまでで約40分です。

主郭の削平面は広く、およそ南北30m、東西45mといったところでしょうか。
ただ、やはり中央部に鉄塔が建てられている為、曲輪の中央部は鉄塔の土台が作られています。恐らく主郭部の表面を削って設置したものでしょう。
その為、曲輪上には、土塁の類は見当たりません。鉄塔が建てられたのは今から50年以上も昔とのことなので、建てられる前の状態がどうだったかについては、今では判らなくなっています。
しかし、主郭部の東側は、木々が綺麗に伐採されており、大変見晴らしが良い状態です。成る程、曲輪下に木の枝が大量に落ちていた理由が判りました。
鉄塔の電線の安全確保の為に定期的に伐採されているようです。

主郭から南西へ進むと、尾根続きに山を渡れるとのことで、勇んで進んだところパチッという音と共に脚に激しい痛みが走って行動不能に。
「こんなところ(標高約250mの頂上の城跡)で捻挫ですかァ?!」
遺構散策は打ち切り。脚を引きずり引きずり悶絶&悪戦苦闘しながらどうにか麓まで降りました。こんなことは初めてでした。

翌月に、傷が癒えたところで早速再訪。今度こそ主郭を南西に進んで散策してみました。

主郭を南西側に坂を降ると尾根筋に出ますが、ここの手前に遺構があります。
北側に竪堀が山下へと一条延びており、側面に小さいですが二段の石積みがありました。
又、南側に段があり、その先の側面にも石積みがあります。自然石と加工石の混在かと思われますが、この下方にも竪堀らしきものがあります。
これを元に、ここの尾根は、現在は、整地されていますが、元々はここに竪堀から続く堀切が設けられていたのではないかと推定してみます。
近年は、鉄塔が主郭部とその先に建てられている為、この尾根筋はその保守用通路となっていて、
その時に邪魔な堀切は埋められてしまったのではないかと。
主郭部の元の姿も含め、鉄塔の設置が五十年以上前の話である為、今では判らなくなっていますが。
更に尾根を南西に進むと隣の峰に至ります。ここにも削平地がありますが、雑草が酷く状況を確認できませんでした。
(こちらも城郭遺構で連郭の曲輪が構成されていて土塁、堀切、竪堀がある模様。再見ですね。)
又、更に少し降って北西へ進むと、隣の峰(標高222m)に至りこちらにも削平地がありますが、ここには鉄塔が建てられ全面的に整地されています。
こちらも城郭に関連するのかは判断できませんでした。ここから尾根は降って更に西側の山へと繋がっています。

主郭まで戻った上で帰路を下山している途中で、後ろから突然声を掛けられてハッと振り返ると、「上の方で財布を落とされましたよ。」と大変親切な方が財布を渡してくださいました。
正に地獄に仏。誠にありがとうございました。
ただ、後で考えてみて、あんな城跡に私以外の人が丁度登っていたのかな?と・・・。いや、他には誰もいなかったはず。誰も・・・。
まさか・・・。山神様かお狐様か。
ありがたや、ありがたや。志良計城には山神様がおられる。
こんなことも初めてでした。


現況画像

<志良計城遠景>
荒平山城側から望む城跡。南側に高梁川の流れがある。
<主郭の腰曲輪と思われる削平地>
それ程広くない。雑木が茂っており視界は良くなく、動き回れない。
<主郭と鉄塔>
樹木や雑草が綺麗に伐採されているので気持ち良い。
ただ、中心には土台が造られ、無粋な送電鉄塔が鎮座している。
<主郭からの見晴らし>
城の東側に米子自動車道が走っている。
南側に視線を移すと高梁川の流れが僅かだが望むことができる。
<主郭下の腰曲輪>
この先は狭い犬走りとなっている。
<腰曲輪から主郭を見上げる>
切岸面を登ると、帯曲輪となっており、更に切岸を登ると主郭へと至る。
<主郭下西面の竪堀>
石積みに沿って下っている。
<主郭下西面の石積み>
各々の石積みは小振り。
<尾根部分の石積み>
こちらも、やはり各々の石積みは小振り。
<主郭南西の峰の曲輪>
南西側の峰から南側にも曲輪群があり、こちらは連郭になっている。
土塁、堀切、竪堀を有している。

ここから北西にも峰があり、削平地があるが、土台が造られ、鉄塔が建てられている。
城跡遺構かどうかは不明。

その他情報

城跡の整備状況
主郭部の約2/3は伐採され整備されています。
城跡碑、説明板等
なし
城跡への案内板
なし
登山道の有無
あり(東側の鉄塔整備のための道が登れます。但し、途中で一箇所倒木があります。又、南側の正満寺裏の辺りからも道があるそうです。)
駐車場の有無
なし
主郭部への所要時間
40分(登り慣れた人なら30分とのこと)
保存会の有無
参考文献等
岡山県中世城館跡総合調査報告書、おかやま全県統合型GIS、 吉備郡史
最終訪城日
平成25年1月
備考

ナビゲーション

バナースペース

OKAYAMA
KUROGANE-NO-SHIRO

管理人:久氏

住所:晴れの国岡山
職業:会社員