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大渡城 おおわたりじょう




城の歴史

総社の中心部から高梁川沿いに登って高梁市へ向かう途中に、美袋という町があります。(昔は昭和町でした。)
この美袋の北端に位置する秋葉山の山頂にこの城跡があります。
永禄から天正年間の頃には、備中の雄である三村氏に属しており、城主は三村氏一門となっていた結城民部丞忠秀(三村忠秀)という人物でした。
天正三年(1575年)に発した安芸の毛利氏による大規模な三村氏討伐戦「備中兵乱」に際しては、約300名弱の城兵で守りを固めて防戦しましたが、多勢に無勢・・・。
正月二十日に降伏勧告を受け入れて落城しています。
城主の忠秀は一命を許されて、荒平山城の川西之秀らと共に児島(現在の倉敷市児島)に流されたそうです。
三村氏の本城である備中松山城が落城後、この城は破却されてしまいました。
(恐らく、周辺の三村方の城は尽く破却されたものと思います。)


城の概要

別名
美袋城、美袋山城
所在地
総社市美袋
形態・構造
連郭式山城(9郭 + 出丸) / 標高約180m(比高約120m)
遺構
石塁、堀切(切通し)、切岸、曲輪
主郭部の現況
雑木林
築城者、主な城主
結城忠秀(民部丞)
主な利用年代
室町時代
指定区分
なし
近隣の城跡、寺社等
金頭山城跡、下倉城跡、山本城跡、要害山城跡、三本松城跡 / 美袋本陣跡

城の位置


訪城記録

以前(平成18年)にも訪れた城でしたが、当時持参したフイルムカメラの写りが悪く、デジカメを持参して夏の盛り(笑)に再訪しました。
当時は、まだ森本氏のキャスリングの本(バイブル)もネット記事も出ていなかったので、山の麓で地元の方に登山口を尋ねてから登りました。
登山口は麓にある住宅裏にあり、秋葉神社への参道となっています。
登山道の傾斜はなかなかきついのですが、参拝用に整備されているので、登るのには困りません。
しかし、木々が繁っているので、登山道は全体的に薄暗く、夏場に訪れると大量に蚊が飛んでいました。
頂上に近づき木々の間から日差しが差し込むようになってくると、登山道は二手に分かれており、道なりに左手側に進むと祠に至って行き止まりです。
城跡を目指す場合は、右手側に折れて登って行くことになります。
城は南西から北東へほぼ直線に複数の壇をもって構築されています。登山道を登って出たところの郭から西に二つの曲輪があり、西端の曲輪とその隣の曲輪の間には、大きな岩が鎮座しています。
この曲輪の北西側は断崖となっており、眼下には木々の合間に僅かに高梁川の流れが望めます。
備中兵乱時にはあまりの大軍相手ということで、降伏することになりましたが、力攻めで落城しなかったのは成る程と思いました。

登ってきたところまで引き返し、次は東側に暫く進むと一段高い曲輪が見えてきます。
縄張り図によると、この間にもう一段曲輪があるはずなのですが、草が繁っていることもあり、判別がつきませんでした。
ここには、斜面に石積みが確認出来ます。小さい石で20×10cm、大きな石でも30×20cm程度と、使われている石は大きなものではありませんが、やはり、山城跡で石垣の類が確認出来ると非常に嬉しいものです。
その上の小さな大きさの曲輪に、秋葉神社が祭られています。美袋の大火の後に建てられたものだそうです。
更に上にある主郭(12m×21m)には、石類が散在しています。建物類の足場となっていたものかもしれません。

更に進むと、この主郭の東側は大きく下っており、切り通し(大掘切り)となっており見所です。ここを東に上ると山肌が続いており、出丸ということですが、蚊が大量に湧いていた為に足早に引き上げざるを得ませんでした。


現況画像

<城跡から城下を見渡す>
西側の木々の合間から高梁川の流れが僅かに見える。
<曲輪西端の石積み>
城内の各曲輪にはこのような大小の石積みが各所にある。
<曲輪上の大岩>
曲輪上に大岩が鎮座している。
<三の壇>
城内一二の長さの曲輪だが草木が茂って全容は判りにくい。綺麗に整地されている。
<曲輪下の絶壁>
曲輪の北西側は中々の絶壁となっていて攻め登ることは出来ない。
<石積み>
秋葉神社の壇(二の壇)の下の側面に大小の石が詰まれている。
(画面右中央から左上方)
形はしっかりしたものではなく、崩れかけているような感じとなっている。
<二の壇>
二の壇は小さな曲輪で、現在は秋葉神社の社が据えられている。
<主郭(一の壇)>
綺麗な平坦面。土塁は見当たらないが、大小の石類が散見する。
<一の壇の散石>
広めの削平地が広がる中に、かつて石積み構造物が存在したのか、一面に大小の石類が散らばっている。
あるいは、秋葉神社に関連するものか。
<大堀切(切り通し)>
主郭の北東側に大きく下って掘り切りとなっており、この城の見所となっている。
(主郭の反対側から撮影)
夏場はここに大量の蚊が湧いている・・・。
<大堀切の北東側の曲輪>
側面は切岸状になっている細長い曲輪。
<北東の曲輪の東にある堀切(切り通し)>
北東側の曲輪を暫く進むと遭遇する掘り切り。
大堀切程ではないが、しっかりとした形の大きな堀切。
<切り通しの先>
切り通しの先の尾根筋。
<城を北西の道路上から望む>
これは絶壁なわけだ。
絶壁すぎて崩落の危険があり、昭和61年に予防治山事業が施行されている。

その他情報

城跡の整備状況
未整備(ただ、木々や雑草が繁っていますが、行動の支障になる程ではありません。)
城跡碑、説明板等
なし
城跡への案内板
なし
登山道の有無
あり(神社への参道が整備されています。所要時間は約15分。)
駐車場の有無
なし(山の麓も住宅地なので無断駐車は出来ません。)
主郭部への所要時間
約15分
保存会の有無
参考文献等
岡山県中世城館跡総合調査報告書、おかやま全県統合型GIS、吉備郡史、昭和町史
最終訪城日
平成20年7月
備考

ナビゲーション

バナースペース

OKAYAMA
KUROGANE-NO-SHIRO

管理人:久氏

住所:晴れの国岡山
職業:会社員