岡山県総社市のJR美袋駅裏にある金頭山の山頂が城跡です。
現在、城跡の大部分は通信設備によって占有されてしまっていますが、これらの設置の際に行われた史跡調査にて建物の礎石などが出ませんでした。
この城は美袋の中心部を見下ろす位置にあるため、備中兵乱記における「美袋の城」と呼ばれる城ではないかと考えられていましたが、城の規模としては大きくない上に建物の形跡がないことから、武将が継続的に滞在する城ではなく、監視や伝令(通報)、兵の一時的な待機などが任務の、つなぎの城となるものではないかと考えられるようになりました。
ですので、定まった城主はおらず、周辺の諸城(大渡城、荒平山城、山本城など)の中継役としての役割を担っていたものと思われます。
近年の調査で、主郭周辺の4段の曲輪以外に南東側に小規模な曲輪、更に南側に約100m降ったところに細長い曲輪2つが見つかったとのこと。
JR美袋駅の西側の踏み切りのところから、荒神社横を抜ける車道を登って行けば、城跡へ至れます。
私は車で登りましたが、道幅は狭いためすれ違いも難しく、引き返すために車を反転させることが可能な場所も限られます。
山頂の近くで二手に分かれており、そのまま道なりに進んで行くと、美袋とは反対側の宇山の集落へと行くことになりますので、城跡へは左手に折れて登ることになります。
<令和4年再訪>
この度、サイトを整理する中で、昔のPC故障時に金頭山城の画像が以前から掲載していた2枚以外失われていること、2枚の画像についても元の原寸大の画像が無くなっていることが判明したため、平成18年3月に訪れて以来久しぶりに再訪することにしました。
今回上がって判りましたが、山上の分岐を左折して城跡へ向かう道は途中でテープが張られていて、車は進めないようになっていました。
脇道は狭いので軽でも車を転回することも出来ませんので、狭い山道をバックして降ることになります。車で入らないようにしてくださいね。
徒歩で登るか、バイク等で上がるようにしてください。
分岐の箇所から徒歩5分ほどで、右手に鉄塔が見えてきます。ただ、ここは城跡ではありません。
更に進むと、右手に壇が見えてきます。4つある曲輪の内、ここが二の壇から四の壇となるものです。
残念ながら、各曲輪はNTTの通信機器が占拠している状況で曲輪は鉄柵で囲まれており散策できません。二の壇と四の壇には整備員用に階段が設けられていて上がることは可能なのですが、その先は柵となっており入れません。二の壇の柵には赤外線で監視しているので侵入したら警察に通報しますとの警告文があります。怖い怖い(笑)。三の壇は階段が無い上に柵で囲まれているため様子を窺うこともできません。
また、二の壇から四の壇は設備設置に伴い綺麗に整地されてしまっているようです。綺麗すぎる形に整形されてしまった切岸も残念すぎます。
ただ、二の壇の南側から一の壇へと続く草が茂る自然傾斜部分はそのままの模様で、歩いていくことが可能です。
ここで、今回初めて気づいてびっくりしたのは、以前の訪問時にあった、一の壇のNHKの通信施設が無くなっていたことです。
ただ、無くなって改めて感じたのは、一の壇は平坦ではなく、自然傾斜?が、かなり大きいなということです。
以前の状態でも画像にあるように一の壇の大まかな全容は見えていたのですが、設備が無くなってはっきりと感じます。
これは、設備設置時に加工があったのか、道路敷設時に高さを併せるために削ったのか、そもそも元から傾斜があったのかは判りません。
城跡は発掘調査時に建物の痕跡(柱穴等)が見つかっていないとのことなので、この傾斜を見るとそもそも建てる気もなかったのだろうかとも感じる。
それにしても、一の壇の横に接続している整備用車道の邪魔なこと邪魔なこと。これでは元々の一の壇の姿が判りにくい。
せめて、二の壇までで止めるか、一の壇の北側に接続する形にしてほしかった・・・。散策するのは非常に楽なのですが(苦笑)。
一の壇に土塁や堀切が無いことは前回訪問時に判っていたので、今回は一の壇南側斜面の散策を実施、ここには小さな腰曲輪状の壇を二つ確認。
竪堀などがあれば狂喜乱舞というところですが、やはり見当たりません。
この先を降ると、尾根沿いに細長い曲輪二面があるとのことでしたが、この後の予定のため残念ながらこれにて切り上げることにしました。
<金頭山城遠景> 高梁川対岸から望む金頭山。見晴らしの良い山頂部分に、四段の曲輪を持つ連郭式山城が築かれている。 金頭山から北西側の山には大渡城、南東側の対岸の山には下倉城がある。 |
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<以前の一の壇> 一の壇に設置されていたNHKの通信設備。 この主郭横まで設備保守車両が入るための車道が設けられているため、曲輪側面も損壊されている。 |
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<二の壇から四の壇> 保守用の階段が設けられているがビニールテープも張られている。 左側の道が保守用の道路で一の壇まで続いている。 |
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<四の壇の設備と三の壇への階段> 四の壇には鉄塔が建てられており、全域がNTTの施設となっていて鉄柵により一切立ち入ることが出来ない。 南側の三の壇へは保守員用に階段が設けられているが、三の壇との間の切岸は綺麗に整地されてスロープ状になってしまっている・・・。 |
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<二の壇の設備> こちらも全域がNTTの施設となっていて鉄柵により一切立ち入ることが出来ない。 赤外線による監視が行われている旨の警告文が掲示されている。 こちらの曲輪も綺麗にまっ平に整地されてしまっている。 |
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<一の壇との間の自然傾斜部分> 四の壇の階段は全く立ち入れないが、二の壇の階段は上に上がれる形で設置されている。 ここから南側に一の壇まで傾斜を登っていくことが出来る。 |
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<現状の一の壇> NHKの通信設備が無くなっている。 前面(南側)に向けて傾斜が入っている。 右側の平坦面は保守用道路。曲輪と道路が一体化してしまっていて、本来の姿がよくわからなくなっている状況である。 非常に残念な有様。NHKには、撤収するなら復元していきなさいと云いたい。 |
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<一の壇上の三角点> NHKの施設があった頃から設置されていたのかは判らない。 |
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<一の壇南の小曲輪1> 一の壇を南に降ってすぐに存在する。非常に小さい平坦面。最初は犬走りかと思ったが、局所的な段でしかない。 |
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<一の壇南の小曲輪2> 少し広く長細い曲輪。(帯ではない。) こちらが、岡山県中世城館跡総合調査報告書に記載のある、「主郭南東側の小さな曲輪」というものであろう。 このまま降って行けば、長細い曲輪に至るはずだが、今回はここで断念した。 |
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