温羅(鬼)の城とも云われる古代山城(以前は朝鮮式山城と呼ばれていました。)です。石積みの城門、水門など多くの遺構が残り、角楼や西門など施設の復元も行われています。
県内では同じ古代山城としては、大廻小廻城(赤磐市)がありますが、残存している遺構の規模としては大きく異なっています。
鬼ノ城も何度か訪れたことがあるのですが、毎回、一部を見ては引き返していたので、今回は家族と共に全体をぐるりと廻ってみました。
ここは城跡入口の駐車場まで車で上がれるので、城跡散策に集中することが出来ます。
(車道は一部狭くなっていますので注意してください。又、途中に経山城跡への入り口がありますが、そこには車は止められません。)
とはいえ、車で登れるので楽チン・・・かと云うと、ここは城地が大変広大なので、ぐるりと廻るだけでも大変です。
まず、駐車場から角楼に至るだけでも結構距離がありますから。あちこちの水門、城門、住居跡など見て廻っていると本当にかなり時間を潰せそうです。(展望デッキなんかもできてますね。)
ここは備中松山城と同じように結構大勢の観光客、地元の家族連れなどが来ています。流石に史跡なので、お弁当を広げてという人は見かけませんが。
学生さんのグループなども見かけますが、スニーカーやサンダルなどで来るのはお奨めできません。
一周する行程は、坂登りあり、岩の上を歩いたりで、降って登ってと、結構アップダウンがありますので、帰路の最後の辺りは酒飲みや運動不足にはしんどいです。子供達はブー垂れてました。
<角楼>表示整備後 当初は第3城門跡と呼ばれていた。 防御用の櫓と考えられるが、実際の用途などは不明らしい。 現在は、石積みの上に版築土塁を積み、その上に見張り台を想定した木造設備を表示整備されている。 |
|
<鍛冶工房跡> 城の建設や生活に用いた鉄の道具を作成するための工房があったと考えられている削平地。 9基の鍛冶炉が確認されている。 |
|
<第1水門> 城内には第0水門から第5水門まで計六か所の水門が確認されている。 第1水門は、第0水門と同じく浸透式水門となっており、排水口がない。 ため池も確認されている。 長さ14.6m。 |
|
<第2水門> 第1水門とは異なり石積みの上部に排水口 が設けられているが、雨後などでないと排水はない模様。 排水口の中を覗き込むと、水を誘導するためにプラスチック製?の樋が置かれている。 長さ16.4m。 |
|
<第3水門> 第3水門については、水が流れ出ている気配がないように見える。 |
|
<第4水門> 写真の真ん中奥にある石積みの所が第4水門であり、上部に排水口がある。 今日に至っても絶えることなく水を流れ続けている。 長さ11.7m、高さ4m。 |
|
<第5水門> 小さな水門だが、ここも水が流れ出している。 長さ10.5m、高さ3.2m。 あれ?長さ10.5m?高さ3.2m?・・・・。 ここ、第5水門じゃなかったか? いつも見逃してしまう第0水門と併せて要再確認ですな。 |
|
<城壁> 高石垣は残っていたものを積み直し&新しい石の積み増しを行っている。 版築土塁は崩落個所に鋼製フレームを組み入れて発泡ウレタンを充填、モルタルを吹き付けた上で版築土を突き固めることで修復している。 |
|
<西門>展示整備後 城郭に関する施設の復元を求める強い要望を受けて遺存状態が良かった西門跡に、海外の古代建築物などを参考に楼門形式の城門施設が推定復元された。 写真にある、鬼(温羅)などが描かれた盾は景観を重視して櫓の外側に取り付けられた。 |
|
<西門>展示整備後 版築土塁上に建物を乗せた構造。角柱で一辺約60cmの門柱が計12本用いられた掘立柱城門。 建物の一階は門道を通し、二階は城内との連絡口、三階は見張りおよび攻撃&防御用の施設と想定して復元している。 |
|
<南門>表示整備中 角柱で一辺約55cmの門柱が計12本用いられた掘立柱城門。西門と規模はほぼ同じと考えられている。 門道と土塁の前面部分は失われていたため、土嚢を積んで補修している。その内側は敷石と七段の石段が残っている。 |
|
<南門>表示整備後 西門以外は表示整備となっていて、建物等の復元は行われておらず、仮設的に門柱と板塀を再現する形でとどめている。 ただし、雰囲気はなかなか良好である。 |
|
<東門>表示整備中 東門と北門は西門・南門と比べると若干小規模な門となっている。 又、東門は入った先が、巨大な斜めの岩盤になっている。この門だけ、階段などの設置も難しいような場所に設けた意図は不明。 眼下にはゴルフ場のコースが見下ろせる。 |
|
<東門>表示整備後 掘立柱城門。他の城門と異なり、柱は全て丸柱となっている。 この門の外は土が流失してしまっており、降りられない状態のため、先端部分に転落防止の柵が設置されている。 手前の岩盤は、敵兵の侵入を防ぐほどの傾斜もないので、やはり、意図が判らない。 |
|
<北門>表示整備中 四つの城門の内、唯一搦手側に設けられており、他の城門と異なって城外が絶壁という形ではない。 左手が城内側。 右手の斜面の下には大量の石積みがある。 |
|
<北門>表示整備後 他の城門と同様の掘立柱城門だが、本柱は角柱、その他の柱は丸柱で構成されている。 床面中央部には排水溝が設けられている。 写真の手前が城内側。 |
|
<第3塁上区間の城内敷石と板塀> 敷石に沿って柱穴が確認され、城の周囲に板塀を巡らせていたのではないかと考えられたため、復元が行われている。 |
|
<土塁> ここの部分の土塁は版築土塁ではない。 中世山城で見慣れた土塁。 |
|
<屏風折石垣> 戦国時代の城の石垣とは異なった、荒々しい壮大さがある。 石垣の基礎部の周囲などで猪害(掘り起こし)が発生している模様。 |
|
<礎石建物1> 城内に礎石建物跡として七か所が確認されている。 礎石建物1とされるものは、飛鳥時代から奈良時代の高床式の倉庫が建てられていたと推定され、ここから上段の場所には、管理棟の大型建物が建っていたと考えられている。 |
管理人:久氏
住所:晴れの国岡山
職業:会社員