岡山県総社市の中心部から北側に進むと高梁川沿いに、涙で鼠の絵を描いたといわれる雪舟禅師で有名な井山宝福寺があります。
この寺から北西の高梁川沿いの山上にあるのが井山城です。
室町期に矢尾入道が城主で、楠八臣の八尾顕幸の末裔を称していた人物のようです。
ただ、この城については、どのような経歴を持つものかよく判っていません。備中兵乱記などにも出てこないので、室町前期から中期までの城なのかもしれません。
昔、夏場に訪れたことがあるのですが、あまりの雑草に断念したことがあります。井山宝福寺の北西にある国民宿舎の廃墟裏の辺りが主郭の位置となっています。
勿論、登山道はありませんので、山肌を直登することになります。国民宿舎横から登る場合が最短となりますが、ここから北にある道を山側に入ったところから登る場合は、城跡の山の隣側の方に出ますので、尾根を伝って南側の城跡へと至ることになります。(私は後者の道のりで登りました。)
尾根の部分に出れば、幾分歩きやすくなりますので、後は進むのみとなります。(ここも北側の郭になります。)
主郭に至ったところで石積みを発見して驚きましたが、どうやら以前に中国電力の鉄塔か何かが立っていたようで、台座として造られた石積みのようです。(中国電力さんの名前の入った柱が立っていました。)
各郭の削平面ははっきり残っていますが、土塁や井戸跡の類は見当たりませんでした。(猪が掘ったかと思われる凹みはありましたが。)
八郭ということですが、郭下にある広い削平面を郭に加えると、九郭ということになるのではないかと思います。
しかし、縄張り図とメジャーを持って行くのを忘れたのは痛恨でした・・・。それに諸事情で滞在時間が限られてしまったのも痛かったです。
今は木々が繁って見晴らしは全く駄目ですが、郭の端まで至れば、高梁川の流れが確認できます。かつては、対岸に荒平山城が、北側には志良計城が眺められたと思われます。
折角、紅葉の名所の井山宝福寺が近いのですから、この井山城跡も整備をしてもらえればと思うのですが・・・。
<井山城遠景> 夏に訪問した時に撮影。高梁川に面して立つ山の尾根沿いに築かれている。 画面中央付近に見えている道路は、国道180号線。 |
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<主郭手前にある堀切> 主郭部の北側にある浅めの堀切。 |
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<主郭北側> 以前建てられていた電力会社の設備の名残と思われる足場の石積みがある。 画面の右側に電力会社の名前の入った柱がある。 |
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<主郭南側> 南側は近世の改変は見られない。 |
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<主郭下の帯曲輪> 南側の曲輪下に帯曲輪が存在する。 結構な広さがあるが、傾斜がある。 |
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<主郭南側の郭> 主郭から南側に伸びる細長い郭。 両端は切岸状になっている。 |
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