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倉敷市の城跡The ruins of a castle in Kurashiki City

「白壁の街」倉敷市内の城跡について所在地名、城名のカナ順で記載しています。
 順次各城の詳細ページを作成予定です。

岡山県南部は昔は多くが海であり、倉敷市の地名にも児島や玉島、連島、羽島、水島などの「島」、酒津や下津井、宇野津のように港を指す「津」、浦田、粒浦など海岸線を指す「浦」、船穂町、船倉町のような「船」など、海や川に関わる名前が非常に多く使われています。

片島城 倉敷市片島町
片島城 標高26mの独立小丘陵上は、妙任寺や片島神社、墓地などになっているため、遺構は見出し難いが、丘陵北側の側面に竪堀群が残る。
黒石城 倉敷市黒石
黒石城 小丘陵上に広めの複数の平坦面が残るが、傾斜が多く曲輪は不明瞭となっている。
多くが竹林化しており、後年に農地として大幅に改変されていることも考えられる。
湊山城 倉敷市児島通生
本太城 倉敷市児島塩生
瀬戸内海に突き出た細長い半島部分に築かれた連郭式山城(海城)だが、現在は周辺地の多くは埋め立てられている。
石積みも残るが後世による箇所も多いと考えられる。
その東側には鎮魂の碑も建てられている。画像は鎮魂碑。
青江城 倉敷市酒津
青江城 済興寺周辺が城跡推定地となり、寺の西側にある丘陵部がその本丸部分と考えられる。
流山城 倉敷市酒津
流山城 酒津八幡山山頂(標高138.6m)部の酒津八幡山山頂遺跡が城跡との伝承があるが、明確な曲輪等は確認できない。
庄城 倉敷市下庄
備中の有力豪族庄氏の城館跡と云われるが、宅地化が進み遺構は確認できない。
唯一、寺地(西方院)周辺を巡る水路が当時の堀の名残と考えられる。
平松城 倉敷市下庄
宅地化、農地化のため滅失。遺構なし。

庄城の南側に位置し、出城或いは屋敷地となるものか。かつては井戸が2箇所残っていたという。
田の片隅に城址の碑が立つ。
下津井古城 倉敷市下津井
漁港などがある下津井の海沿いの標高約20mの低丘陵上に築かれている。
現在は主郭部分には神社が設けら改変を受けている。
下津井城 倉敷市下津井
岡山県指定史跡。標高約80mの丘陵上に堀切、土塁、土橋、虎口、天守台、複数の曲輪に石垣などが残る近代城郭。
水島城 倉敷市玉島乙島
源平期の水島合戦における、源氏側の陣地。
(平氏側の陣地は柏島の森本松山城跡)

丘陵頂上部の常照院(天台宗)周辺が本陣跡と推定されているが、遺構は確認できない。
亀崎城 倉敷市玉島阿賀崎
小丘陵上の単郭の小城。南側に腰曲輪。
現在、主郭上には亀崎神社を迎えている。南側を降って続く尾根の先には小さな丘があり祠が置かれている。
こちらも城郭関連施設の可能性がある。
当時は柏島の先端部分で、見張り台の役目を担っていたと考えられている。
畑山城 倉敷市玉島柏島
畑山城 現在、丘陵上は墓地や雑木林、宅地。
斜面も宅地、農地、果樹園などになっている。
低丘陵地のため、近世に様々な土地の改変を受けていると考えられ、城跡遺構と思われる箇所は確認できない。
森本松山城 倉敷市玉島柏島
森本松山城 源平期の水島合戦では、平氏側の陣が張られた。
(源氏側の陣地は現在乙島の常照院)

柏島政所。曲輪面と土塁が残る。
主郭部の中心を県道398号(水玉ブリッジライン)が貫いている。
丸山城 倉敷市連島町連島
太平山城の北東側の山塊上、標高94mに築かれており、かつては10の曲輪があったと伝わる。
現状、周辺は墓地(安寿霊園)となって整地されており、主郭と考えられている丘陵部分は墓地管理事務所区画となっている。遺構と思われる箇所は見当たらない。
西山城 倉敷市連島町西之浦
高梁川を望む山塊の標高92mの位置。主郭と考えられる山頂部分には鉄塔が立っている。
石積みも見受けられるが後世のもの。
雑木が生い茂る城跡に、平坦面以外の城郭関連と思われる遺構は見当たらない。
上河原城 倉敷市中島
宅地化、農地化のため滅失。遺構なし。

備中兵乱で斃れた鬼身城主の上田(三村)実親の次子吉親が流浪の末に辿り着き、澳伝次郎を名乗った上で城館を構えたとも、中大道城と同じく宇多源氏佐々木氏の一族が住んだとも伝わる。
中大道城 倉敷市中島
宅地化、農地化のため滅失。遺構なし。

城主建部氏は宇多源氏佐々木盛綱の末裔を名乗り、慶長九年頃から中島の地に在住して城館を設け、實際寺を建立した。
實際寺は城跡推定地から少し南側に現在も残っている。
万寿城 倉敷市中庄
万寿城 宅地化のため滅失。遺構なし。

JR山陽本線と県道162号(旧2号線)が交差する箇所で、小字は「城之内」。
山陽本線の北側にある小丘陵上に存在したか。
鎌倉期の城館跡。
日畑城(日幡城) 倉敷市日畑
「高松城の水攻め」の際の「備中境目七城」の一城。
周辺に隣接する石材店の作と思われる城址の碑が立つ。丘陵の全域が竹林化。西側は宅地化により滅失か。
援将の上原元祐が寝返って、城主の日幡景親を殺害したため落城したと伝わる。
平田城の内城(仮称) 倉敷市平田
宅地化のため滅失。遺構なし。

城跡推定地の周辺に小字「城ノ内」の地名が残る。
黒山城 倉敷市福田町浦田
標高約60mの城山の山頂部周辺に、曲輪面とそれを囲む土塁、土橋、堀切、竪堀、横堀、切岸、虎口など様々な防御施設が良好に残る。
城山の南側の一部は過去の土取りで削り取られているが、城域は守られている。
后王城 倉敷市船穂町船穂
城跡は周囲より高地となった先端部分。
現在は、果樹のビニールハウスが並ぶ農地であり、城郭遺構は確認されていない。

船穂町誌によると、船穂町内には梁場山城、南山城、后王城の他、上ノ壇城の記載があるが、所在不明。
南山城 倉敷市船穂町柳井原
別名は明知山城。背後を遮断する複数の堀切と南側方向を中心とした各方への多数の竪堀で固めた堅城。
小田川の氾濫を起点とした「小田川合流点付替え事業」に伴い、南山は大きく削られ、城跡の大部分が滅失した。
梁場山城 倉敷市船穂町柳井原
柳井原殿坂にある丘陵地(古城山)の山頂部に円形の削平地が残る。ただ、平坦面は傾斜が多く明確でない。
一部に土塁状のものも残っている。
往時は、鴨山城の細川氏の持城(支城)となっており、城主は横溝氏が代々治めていた。城の南側に城名碑がある。
小野ヶ城 倉敷市本町
倉敷アイビースクエアの場所。現在では遺構なし。
天慶年間にこの地にあった丘陵上に小野好古が築城とのこと。
江戸時代に跡地へ倉敷陣屋、その後は倉敷代官所が建てられたが、明治二十年の倉敷紡績建設時に丘陵は失われた。
松島城 倉敷市松島
松島城 独立小丘陵上に主郭を設け、西側に次の広さの西の丸、東側に狭い東の丸を備えていたというが、医療短大が建てられてた際に丘陵全域が削平されてしまったため、現在では遺構は残っていない。
「高松城の水攻め」の際の「備中境目七城」の一城であった。
鳥ヶ岳城 倉敷市真備町尾崎
宮前城の内城(仮称) 倉敷市宮前
宅地化のため滅失。遺構なし。

現在はマルナカ・チボリ店の店舗及び駐車場となっている部分が城跡推定地で、小字「城ノ内」。
画像中央より奥が想定地で、当時は周辺より約50cm程度高かったとのこと。
河屋城 倉敷市矢部
標高13mの低丘陵上。現在は寺地や畑となっており、遺構と思われるものは見当たらない。

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