羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)軍の侵攻に際して境目七城(備中高松城、宮地山城、日幡城など)と呼ばれた城の一つとして知られる松島城は、毛利方の梨羽中務丞が守備しましたが、直接の戦火を交えることはなかったようです。
城は松島字城内の丘陵地上に主郭と東西の計三つの曲輪で構成されていたようですが、昭和48年、丘陵上に川崎医療短期大学が建設された際に遺構は失われたそうです。
尚、倉敷市史に記載のあるとおり、隣の川崎医科大学や両児神社がある大きな丘陵地側は城跡ではないようです。
(GoogleMapではこちらに松島城跡のアイコンが付いていますが・・・。)
以前、おかやま全県統合型GISでは、この川崎医大側の丘陵地も含めた範囲で松島城と表示されていたのですが、現在では訂正されています。
松島城跡は岡山倉敷間を移動する際に道沿いから見える為、たまに寄り道してみたりと何度か近くに行ったことはありましたが、
今回も、やはり大学管理地である為、立ち入ることは出来ませんので、周辺をウロウロして写真を撮るだけです。
残念ながら、遺構は完全に失われているとのことなので、ここまでですね。
境目七城の内、全く遺構が確認出来ないのは、この松島城だけということになります。(まあ鴨庄城も近いですが。)
<松島城遠景> 左側の大学敷地が城跡。 |
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<城跡丘陵上に聳える医療短大校舎> | |
<城跡丘陵上に聳える医療短大校舎> 近づくと、木々の間に岩肌が見える。 |
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