永禄年間に石井大蔵家資の居城。居館跡か。
桜の名所でもある酒津公園から北へ、そして酒津北橋を渡って酒津貯水池に沿ってを北に進んで済興寺を目指します。
この済興寺周辺は若干丘陵となっており、この寺及び幼稚園、及びその南西側の丘陵を中心とした一帯が城跡になります。
寺の南西側にある個人宅敷地内の木の茂る広い丘陵は更に高地になり、こちらが本丸部分と考えられます。
GoogleMap上でも、ここに城跡のマーカーが付けられていますね。
ただ、こちらは個人宅地内となっており、周囲を高い塀に囲まれていて立ち入れませんし、残念ながら殆ど中を見ることも出来ません。
古い宅地が多いこの周辺を歩き回ってみましたが、結局、それ以上城跡の痕跡は見つかりませんでした。
済興寺さんにお伺いした際にも城跡についてお聞きしてみましたが、そういう話があるとは聞いているが、何も伝わっていないとのことでした。
<青江城遠景> 対岸の流山城から望む。 |
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<城跡にある済興寺> 韶法山済興寺。大正初期に現在地に移転。 昭和初期に現在の寺名になったとのこと。 ご覧のように済興寺の周辺は周りより一段高くなっている。 |
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<済興寺西側の丘陵地> こちらが本丸と考えられる。 頂上部の曲輪は東西40m×南北30m。南側の一段下の曲輪は東西50m×南北15mの曲輪とのこと。 |
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<済興寺西側の丘陵地> 現在、丘陵地は草木が生い茂っており、全容を確認することは出来ない。 |
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