井原市内の城跡について所在地名、城名のカナ順で記載しています。
順次各城の詳細ページを作成予定です。
横手山城 | 井原市井原町 |
別名は横手城。畠山頼重の居城と伝わる。 舞鶴山(井原富士)屋根上標高約180m。 緩やかな傾斜上に平坦面が続き、その北東側に壇が二段構成されている。 ただ、平坦面は農地、壇は神社として改変されたものとも考えられる。 |
|
鎌田城 | 井原市上出部町 |
井原運動公園野球場の東の細長い丘陵上。 現在は東側に県道34号線が通り、西側は墓地が造られ大半が損壊状態。 墓地の中に城跡の碑が建てられている。 鎌田氏の居城と伝わる。 |
|
才崎城 | 井原市木之子町 |
宅地の中の丘陵地上に築城されている。 周辺からの比高は約40m〜50m。 頂上部の主郭の周囲に帯曲輪を配し、北東側、北西側に壇を重ね、一部に堀切を有している。主郭東側坂下には竪堀群。 鎌倉期に渡辺大隅守が築城し、渡辺氏の代々の居城。 |
|
青蔭城 | 井原市西江原町 |
尾根の南東先端部に二段の曲輪が設けられているが、城の北側は堀切や切岸等で遮断されていない。 現在、主郭部にはテレビ中継局の施設が設置されており、その際に発掘調査が行われ、土器等が出土している。 施設前に「青蔭城跡」の小さな銘板。 |
|
亀迫城 | 井原市西江原町 |
毛利氏により築城されたと伝わる城は、冑山の低丘陵のほぼ全域に築かれている。 現在は、亀迫城山公園となっており、散策し易いように改変されている。 また、城山上には古墳も存在し、亀迫城山箱型石棺を見ることができる。 |
|
小菅城 | 井原市西江原町 |
尾根上の西側に曲輪を二段、東側に六段の曲輪を配する連郭式山城。複数の土塁と堀切が残る。 鎌倉期に那須宗隆(与一)が地頭職として入り築城したと伝えられる。その後は那須氏代々の居城。 訪問時は曲輪は大半が藪化していた。 |
|
中堀城 | 井原市西江原町 |
鎌倉期に刑部忠光の居城。 甲山の南側で小字が「中堀」や「堀下」となっている。 城館跡は、神社や寺、小学校、工場や宅地などを含む広い範囲が該当すると考えられる。 |
|
高越山城 | 井原市東江原町・神代町 |
元寇に対して六波羅軍総大将となりその名を知られた宇都宮貞綱が築城と伝わるが、その後は備中伊勢氏代々の居城となる。伊勢氏からは後に関東の雄後北条氏を築く、伊勢盛時(宗瑞・早雲)を輩出している。 城跡は公園として整備されている。 |
|
米持城 | 井原市東江原町 |
別名は泉山城。伊勢盛時が縄張りを行ったとの説もある城。 比高約40mの低丘陵上に築かれた単郭の城だが、西側面は後年の土取りにより失われている。 |
|
小笹丸城 | 井原市美星町黒忠 |
約30m四方の主郭を中心に、周囲に曲輪を配している。 土塁、堀切、竪堀、切岸、井戸跡などが残る上、散策しやすいよう雑木・雑草などは刈られている。 竹井掃部左衛門尉、竹井市郎左衛門光高ら竹井氏の居城と伝わる。 |
|
尼子城 | 井原市美星町星田 |
星田池に面する標高240m(比高約30m)の丘陵上に築かれている。 尾根上の平坦面は雑木が茂っている。 |
|
正霊山城 | 井原市芳井町吉井 |
旧芳井町の中心部に存在する低丘陵上。 主郭と複数の曲輪を有する。また、主郭北側の尾根上には土塁を付帯した二重堀切が残っている。(画像の左側周辺) 城主は藤井好重および皓玄。皓玄は神辺城の戦いで毛利氏に敗れた後、笠岡へ敗走し自刃した。 |
管理人:久氏
住所:晴れの国岡山
職業:会社員